『量子プログラミングの基礎』p.27 エルミート作用素(観測量)のスペクトル分解
hackmd.io
添え字はでやっているがこれは重複を許すので本質的には部分空間ごとに添え字づけられていると思ってほしい.
これ無限次元でうまくいくのか分からん.
セキュリティ・キャンプ全国大会2017
みなさんお疲れ様です.
敗因:
選-X-言(3).
その他に自己アピールしたいことがあれば自由に書いてください。なおこのゼミでは加点評価で採点します。つまりまずいことを書いてしまっても減点はしません。書いておきたいことはなんでも書いてください。なお、図や写真などを使いたい場合はどこかにアップロードして、文章内にURLを書いておいてください。
コンパイラ書きたい.
あと参加する意欲がフワッとしてて「友達つくりたい(大意)」とか書いてたので「なんだコイツ」みたいに思われてた可能性は高い.
来年はやっていくぞ.
最後に自分のことを書いておくと,量子コンピュータ向けの高級プログラミング言語作ってデニス・リッチーになることを志しています.
*1
今やっていることとしては,
github.com
で簡単な自作手続き型言語のコンパイラを作っていて,アセンブリを吐くところまではできました.
現在取り組んでいることとしては,16bit RISCマシンをPYNQのFPGA上で実装した上で,先ほどのコンパイラで吐いたアセンブリ(を機械語に落としたもの)を動かそうと取り組んでいます*2.
こんな感じのコード↓が
function actualsolution() : Int = 21; function solution() : Int = 2 * actualsolution(); function main() : Int = let sol : Int = solution(); sol;
こういうアセンブリになります.
gist.github.com
gist.github.com
gist.github.com
最適化やっていきてえ・・・!
*2:Vivado WEBPACKなんもわからん・・・
『量子プログラミングの基礎』
- 作者: ミンシェンイン,Mingsheng Ying,川辺治之
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2017/04/07
- メディア: 単行本
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本文の全てのページに目を通した(理解したとは言ってない).
具体的に言うと,この本が
- 何をやりたいのか
- どのようにやっているのか
という気持ちをつかんだ.
一つ注意が必要なのだが,この本は『量子プログラミング(意味論)の基礎』*1であって,ターゲットは量子プログラミングを専攻しようと思っている学部生や大学院生だろう.
実際に量子プログラミングしてみようという人には違う本が向いていると思う.ぼくの場合はターゲットど真ん中なので問題は無かった.
量子プログラミング意味論を扱っているので,当然量子力学や古典プログラミング意味論は前提知識として要求されており,つらい.
しかし,これ理解すれば論文バリバリ読めるのかなあと思うとやる気が湧いてくるのである.定理の言明がまず分からないけれども.
あと量子選択が入ってくると「コイン」空間を次から次へと新しく作る必要がある,という主張はあんまりしっくりこなかった.
それはできるだろうが本質的なのかなあって思った.
とりあえず一通り目を通し終わったので,次は内容を理解するターンである.
この本は練習問題が豊富なので,これを解いたりあとは本文でサラッと流されている事実を証明したりしている.
今は予備知識の量子力学のパートを一つ一つやっているところ.
せっかくなのでオンラインでノートを公開することにした.例えば今日やったのはこれ:
射影演算子の特徴づけ - HackMD
線型空間論楽しい.これからもやっていくぞ.
*1:学術的なタームとしては問題無いが,一般には少しずれてるよね.
ヤマノススメ
これは昼飯です.奥にあるのは玄米茶.しょっぱめの赤米の上に漢方みたいな味付けの豚と酢がかかった葉が乗ってます.おいしかった.これはほめ言葉です.
道がない
速度制限の下に自分の速度が出て便利.後ろのが太陽電池.
点字ブロック久しぶりに見た
ついに砂利道になる.
道が細い
植物園が途中にあるらしい
ヤードで言われてもわからん・・・
植物園を通り過ぎて後ろを振り返ったところ
ポイ捨て
キツいキツい言いながら登っていたら突然ヤギの群れに遭遇した.
何も分からん・・・.
木に生えてる葉っぱをむしゃむしゃしている
ヤギに挨拶してたら数匹に同時に見返されてビビる.
目的地のローレンス科学館に到着
建物はこんな感じ
眺めがいい.目線と同じ高さに雲がある
中に入る.これはヤモリの足的なやつ.
飛行船を飛ばして遊ぶ
外に出ると水をせきとめて流れを観察するというのがあった.
こちらから見た眺めも良い
ゲームが置いてあった.一人でコマをカチャカチャした
手を地形の上で開いたらそこに雨が降って水が流れていくシミュレーション.どうやってるのかなと上を覗いたらKinectを見つけた.
ショップにプログラミングの本があった.
下には学習漫画が.中身見たけど日本の奴の翻訳っぽい(書き文字が日本語).STATISTICSの奴見たら主人公が面食いだった.
ヘビかわいい.
Tシャツ.買った
ここでスマンホホが電池切れ.
この後は霧箱を見たり*1初期のサイクロトロン(手のひらサイズ)*2を見たり9段のハノイの塔をガチ解きしたり帰り道で遭難しかけたりした.
山の中で道分からなかったとき足が5000兆円くらい重かったのに道分かった瞬間6億円になり大学にたどり着いた瞬間1諭吉になった
— 井山梃子歴史館 (@__pandaman64__) 2017年7月3日
地図も携帯も無いのに面白そうだからと知らない道選ぶのやめよう!*3
科学館は子供が多く,水とかに平気で手を突っ込んだりしてすごいなーっと感じた.
本:『確率の哲学理論』
この本を読む前の僕は頻度主義者を自称しており,「ベイズ主義だとベイズ推定の解釈が簡単!」という言説に対して「それは確率の方に解釈の難しさを持ってきただけでは?信念の度合いって何?」「それに主観的確率を採用するとしてなぜその値を現実の事象に採用して上手くいくと考えられるの?それ結局頻度主義なのでは?」と反感を抱いていました. とはいえ,こんなことは専門家がとっくの昔*1に考えているはずなので,良さそうな本を拾って読んでみました.
読んだ後の気づきとしては自分は頻度主義者というより傾向説の方が近いかなという感じ. それに主観的確率は操作主義的に測れるんですね,なるほど~.そしてそれが間主観的という一種の客観じみたものになり得るというのも納得*2
古典的理論
- 17世紀当たりの奴
- 無差別の原理
論理説
→無差別の原理は発見的原理としては役に立つ(統計力学で等重率の原理が現象を説明する)けど論理的な原理としてはパラドックスを生むよ(=いつでも設定できるわけでは無いよ)
主観説
- ラムジー
- デ・フィネッティ
- 確率は個人の信念の度合い
- 確率は賭けに割り振る値によって操作的に決められる
- → Dutch book argumentによってコルモゴルフの公理系との同値性が示される
- 独立性の代わりに可換性を仮定する
- しかし,独立性はアプリオリに想定できるものではないため,可換性も主観的に決めることは出来ない
わからんところ
ギリースのバージョンのDutch book argumentは破綻していると思う. 具体的には,登場人物Aさん・Bさんの内Aさんが事象Eの発生にqの信念の度合いを提示し,Bさんがそれに応じて好きな賭け金額Sを賭ける(Sは政府いずれでも良い). もし事象Eが生じたらBさんがqSを受け取るという形式なのですが,これ上手くいくんですか? 何回も考えたが完全に分からん. 自分は1ドルの報酬がつく賭けにqドルの値を付けるという設定に翻訳して理解した.
ところで,独立性をとりいれた主観説というのはあり得るのでしょうか.
頻度説
- ミーゼス
- 確率は性質の集合(標本空間・性質空間)での相対頻度の極限
- 経験則の1(統計的頻度安定の法則). 相対頻度は大体収束する(コルモゴルフに対応)
- 2(ギャンブル体系排除の法則). ギャンブルで勝つ方法は無い(ランダムネス・独立性に対応)
- 単一の事象の確率は不正確な語法であり,本来は扱うべきでない
- ミーゼスの確率論は自然科学の数学と同じようなもの
- 確率は相対頻度の測定によって操作的に決められる
- 完全な操作主義は不可能
- ランダムさの公理の性質・立場が微妙
- 加算的加法性が入らない
傾向説
- ポパー・ギリースほか
- ポパーの(オリジナルの)傾向説→頻度説ではない客観説全体を指すように
- 確率は何らかの傾向
- 繰り返しの条件が相対頻度を生む傾向
- 世界の傾向→テストしづらい
- 因果性を確率と結びつけるには難点がある(逆向き・同時点の現象についての条件付確率の解釈が難しい)
ギリースの傾向説
- 条件の傾向
- 確率理論は未定義語の関係であり,現実の抽象化である(ユークリッド幾何学がそうであるように)
- 抽象法則は間接的なやり方で現実と関わり,法則が生成する仮説のテストによって正当化される
- 経験法則をより深くしたものとしての確率論
- このときに定性的な関係が用いられる→統計的検定による棄却
- 統計的頻度安定の法則→確率残による収束率も含んだ計算(より正確な見積もり)
- ギャンブル体系排除の法則→独立性
- 加算的加法性が無理なく入る(数学的な単純さがあり,理論体系が観測と矛盾しないことによって正当化される)
(本文より) こうしてコルモゴロフの公理の意味と,確率論におけるその中心的な役割が新たに明らかになる.小売りは十分抽象的なので,主観説によっても傾向説によっても満たされている.したがってそれは,これら両方の解釈にきょうつうするすうがうてき,構造的特徴を示している.しかし,もし手関節から客観的解釈を区別したい場合には,もう一つの公理,すなわち独立した繰り返しの公理を付け加えることによって区別が可能になる.もしその結果得られる体系を観察に結びつけることで正当化したいとすれば,反証ルールを付け加えなければならない.こうして,抽象的で数学的な公理から経験の世界へと渡る橋がつくられる.
間主観的確率
- ギリースほか
- 複数人に対するdutch bookを考えると,複数の人物が同じ主観確率を持つことが合理的な場合があることが分かる→缶主観的確率
- これは主観と客観の間が連続的であることを示唆する
人工物的なもの→星座の星は宇宙に人間とは独立に存在するが星同士の距離は極めて遠いこともあるし,それぞれ相対的に運動している.つまり星座は最近の人間が恣意的に定めたものである.電子や光子という分類も同じ意味で人工的である.
- 主観的→個人の信念の度合い
- 間主観的→合意による集団で共有された信念の度合い
- 人工物的→確率は物的世界に存在するが,確率の生じた原因は人間と自然の相互作用によるものである.例えばコイン投げ・喫煙者が肺がんになる確率
- 客観的→人間とはまったく独立に物的世界に存在する確率.放射性原子の分裂確率とか
原子や講師が人工物的という分類面白いと思うんだけど,実在論の範囲では聞いたことがない.実は有力な反論があるのでしょうか.
多元主義
これらの中でまともに使えるのは主観説・間主観説・傾向説. コルモゴロフの公理は十分に抽象的なので主観的にも客観的にも解釈できる.
繰り返しの事象については傾向説で解釈すれば反証ルールで確証・反駁ができて客観的に確率を計算できる.
単一の事象の確率には主観的確率がよっさそう.
例: 経済の状態は時期・場所によって独立ではない. サンプリングは母集団においては既に頻度は定まっているのであり,ランダムネスは抽出によってのみ導入されるだけである. よって経済の状態について客観説を用いるのはできない. これはある意味自然科学と社会科学の違いを示している.
自然科学では調べる事象は調べる人に全く無関係に起こる(不確定性原理は微妙だけど). 社会科学では調べる人=関与者の意思決定が社会事象に影響を与える. “"予想がのちの事象に一致したのか,それとものちの事象が良そうに一致したのか,どちらともいえない”"
参加者が社会システムへの(誤っているだろう)理論・信念を形成し,それが社会に影響を与える. その影響を繰り込んで参加者がまた理論・信念を更新していく. →再帰性(ソロス)
とはいえいつでも再帰性が大きいとは限らない.無視できるほどに小さいことも多い ↓ インデックス(均衡理論・正常な状態) vs アクティブ(再帰性・正常でない状態)の対立 自然科学(観察者と事象が独立) vs 社会科学(観察者が事象に影響する) not 操作主義 vs 操作主義
操作主義は恣意的だが,それでも有用である. 大まかな質的な評価を数的な値にすることができる(e.g. 成績評価) また,値を割り振る方法が規範的な性質をもつ(e.g. 合理的な人間ならdutch bookを許さないように確率を割り振れ) このとき,操作主義はよいか少なくとも十分な方法
自然科学においては,質的な現象が単純に量的なパラメータが導入されて説明される これは上手くいってきたが,社会科学ではあんまりうまくいっていないので操作主義的な手続きが必要
ギリースは株式市場の行動分析を社会科学的なものとみなしている.
p323.
“各株式はある一定の時点で決まった数的価格を持ち,...そこにかなりの恣意性があることがわかる”
“株式市場において価格は,多くの投資家が行った売買の意思決定によって決められる.しかしこれらの投資家の意思決定は独立からは程遠い.投資家はお互いに影響を与え合い,ある一定時点ではいつも,市場価格を大幅に決定する規約的合意がなされている.”
→株価は再帰的に定まっており,自然科学的なパラメータというより操作的に決められた恣意的な値である.
しかし『ランダムウォーカー』では長期的(数十年程度)にはインデックス投資=市場平均を打ち砕くアクティブ投資が存在しないことが繰り返し主張されてきた(これはギャンブル体系排除の法則にも似ている). これは株式市場でも長期的には(傍点)独立な条件の繰り返しとして還元されることを示しているのではないか.
本
- 作者: ヘリガ・カーオ,岡本拓司,有賀暢迪,稲葉肇
- 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
- 発売日: 2015/07/01
- メディア: 単行本
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『二十世紀物理学史』読んでるけど第一次世界大戦前後の科学者のナショナリストっぷりにはくらくらしてきますね
— 井山梃子歴史館 (@__pandaman64__) May 12, 2017
20世紀物理学史読んでて素粒子物理学への予算投入具合に震えたなあ
— 井山梃子歴史館 (@__pandaman64__) 2017年5月31日
熱力学や古典力学の歴史は山本義孝氏の本で学んだことがあるのですが,最近*1の話は良くわからないので読んでみた.
アインシュタインの相対論とか,現れた当初はそもそも重要な貢献だとは見做されてなかったらしく,今の評価とは大違いで不思議.
とはいえ,ひとたび光が当たると論文数や研究者の数が1年で10倍・100倍と増えていってすげえと思った.
面白いが悲しい所もあって,例えば冒頭で挙げたナショナリズムのことがある.
『20世紀物理学史』には「○○(ここに民族名が入る)物理学」といった主張がまじめな顔で行われていたり,他国の物理学者を論文誌や学会において排斥したりということが書いてあり,とても悲しかった.
そして,学会があちこちで開かれたり研究のために他国の大学を訪問したりと概ね国際的なコミュニティを為していた物理学者であってもこうなのだから,ふつうのコミュニティでは,きっともっと酷かったのだろうなあと感じる.
悲しい.
*1:といっても100年前だけど