祈り

最近,祈りたくなることが増えた.

一人大学と家との間を歩いているとき,電車を待つとき,お風呂に使っているとき,

そんなとき感情がどうにも高ぶることがある.

コミュニケーションがうまくいかないこと,能力が足りないこと,大学に落ちたこと,学科分けにも弾かれたこと,

そんなことが思い浮かんでしまってどうしようもなくなる.

足は止まり目には涙が浮かぶ.悲しい気持ちになる.生きているのがつらく感じる.

この1年間で,自分以外にも興味が向くようになってきた.

蔓延する強制労働,いじめ,排他主義,生殖,親権,嫌がらせに嫌がらせ指摘される人間,

世の中にも悲しいことはたくさんある.

自分に対する不満なら自分を苛んでしまえば終わった.おれが世界一だという信念を構築してしまえば何の問題もなかった.

ただ,社会に対する悲しみにはこれはあまり上手くいってくれない.

おれが社会を変えるのだ.そう決心してみるときもあった.

けれども,それよりも,ただ祈りたくなることが増えた.

ぼくには信仰がない.祈る先が存在しない.手を合わせてみたり組んでみたりしてただただ無事を,平穏を,幸せを願うしかできなかった.

信仰が欲しい.信じられる何かが欲しい.

南正太郎(@mayuragicenter)*1が言うには宗教は心の慰めに過ぎない.それはそうなのだろう.

けれどもぼくはぼくの心を満たしてくれるような絶対的な存在を求めてやまない.自分の能力に嘘をついて自尊心をいたずらに膨らませていくのはイヤなのだ.

↓誕生日のぼくが信じられるものです
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*1:南正太郎さんへ.数か月前に長文のaskをした者です.あの時はありがとうございます.私は南さんの議論は説得的だと思いますし,意見には概ね同意します.ただ,その上で私と南さんには価値基準の違いがあるとは考えています.