どうしようもなくnaive realism

「分かりづらいツイートして満足してないでブログに書け(大意)」とのことなので書きました

実在論(realism)

実在論とは,対象が我々の外部に独立して存在するという主張である.
我々は普段目に映ったり耳に聞こえたりするものが本当に世界に存在すると感じながら生きている.
例えば目の前のパソコン・もたれかかっている椅子・窓の向こうの月や画面の先のVTuberは「実在」しているのだ.
このような人間にとって自然な認知の仕方は素朴実在論(naive realism)と呼ばれている.

当然,実在論に対して反対する立場も存在する.
とくに科学哲学の分野では,科学が対象とするもの(原子など)が実在すると主張する科学的実在論反実在論の争いが続いている.
悲観的帰納法なんかは面白く,科学の発展において存在しない/正しくないと明らかになった対象(燃素とか)について帰納的に考えることで反実在論を主張している.

この記事を書いた理由は上に上げたHacker Newsで「数学(やその定理)は発見されたものだ!」と繰り返し主張している人が居たから.
この人は数や定理・数学的構造といったものが我々と独立して存在しており,それを人間が発見するという活動が数学であると考えている訳なので,実在論者である.
反対に「数学は発明されたものだ!」と言っている人も居る.この人たちにとっては数学はある意味人間(の社会的インタラクション)によって構築されたある種の知的ゲームであり,実在していない.
HNの人たちは発見発明と同じことを繰り返すばかりで話が進まないのだが(悲しいが良くあることだ),その背景にはこのような哲学的立場の違いがあるわけだね.

ハッキング『数学はなぜ哲学になるのか』では,なぜ数学にこのような哲学的論争が発展する余地が生じているのかを描き出していて面白い.
特に本書で提示される「デカルト的証明」と「ライプニッツ的証明」の区分けなんかは感心したものだ.

数学はなぜ哲学の問題になるのか

数学はなぜ哲学の問題になるのか

ちなみに,自分は反実在論寄りの立場である*1
でも卯月コウも赤月ゆにも実在してるんだよなあ.どうしようもなくnaive realismってワケ.

*1:例えば,いわゆる数学の基礎にも様々なバージョンが存在する. 普通の人たちは素朴集合論で問題なくやっているし,もしかしたら大半の数学的活動(ディ~プラ~ニングとか)は算術のアルゴリズムを内面化さえしちゃえばいいのかもしれない. 厳密に機械検証!!!!つってもSimple Type Theoryベースでやってもいいし(Isabelle),依存型ベースでもCoqもAgdaもちょっとずつ違う.NuPRLはComputational Type Theoryというこれまたよく分からないやつを使っている. これらもZFCとは異なるわけで,それなのに独立した「ザ・数学」なんてものが実在するのかなあというのが疑問なワケだ. 一方,実在論者たちはこの現象こそが実在論の擁護になると主張することもできる.曰く「様々な数学の形(定式化)があるのにも関わらず,それらが全て同じ数学であると認識できるのは,まさに数学が実在しているからだ. 種々の定式化はイデアに住む数学を人間に理解できる形で射影した影の形に過ぎないのだ」と.