「〇〇はクソ」って言うけれど…

インターネットやってるとこういう意見,目にしますよね.
〇〇にはマスコミ・掛け算の順序・フェミニストなどなど何でも入っているような気がします.
この記事ではこういった意見を目にしたときに自分がよくやる「思考のくせ」みたいなものを三点紹介したいと思います.

(比較的)いい面を考えてみる

一点目は〇〇が為してきた功績やよい点を考えてみるということです.
例えば,自分は週刊誌のことを下劣だとは思っていますが,彼らが「スクープ」を行ってきたことも確かです.

もしくは〇〇が無くなったときのことを考えてみるのもいいでしょう.
マスコミの報道でミスリーディングな見出しが物議を醸すことはままあることですし,テレビの疑わしい健康情報が残念な帰結を産んだこともあります.
だからといって,マスコミに「取って代わる」ようなものがあるかというと難しいでしょう.
例えば,日常的にデマを撒いてるまとめサイトやアルファツイッタラーに人々が情報を頼るようになるというのは望ましくありません.
その点でマスコミは「マシ」な選択肢であると言うこともできるでしょう.

期待を下げる

二点目は,他人にあまり期待しすぎないことです.スタージョンの黙示(法則)なんて言葉もありますね.
例えば,日本に記者は2万人近くいるようです
それだけいたらクズやバカぐらい…いてもおかしくないでしょう.組織だってダメダメなものです.
もしくは悪意が無くとも単に運が悪かったケースも存在しているように思われます.

この考え方が有効なのは特定の主義を叩いているケース(Toggetterまとめのリンクがついていることが多い)でしょうか.
結局のところ,あらゆる主義の元にはあらゆる程度の人間が集まるのであり,ひどい意見は探そうと思えば見つかるものです.
これらはリツイートまとめサイト,場合によっては伝統的なマスコミを通じて拡散していきます.
すると,外部の人間にとってあたかも〇〇主義にはどうしようもない人たちばかり集まっているように見えてしまうのです.
しかし,そのような見方は極端に過ぎるでしょう.主流派の考え方は穏当かつ現実的なことが多いものです.
そういった真っ当な意見を仕入れるためには,入門書のようなまとまった文章を読むのがよいでしょう.

これらの考え方に共通しているのは,〇〇を単一の存在とみなすのではなく,もっと複雑でゆるやかな集まりと捉えることです.
「マスコミ」「右翼」「左翼」「在日」というものが存在して人格を持っているわけではありません.
それらは多くの人から構成されていて,彼らには日々の生活がありますし,〇〇も彼らを構成するたったの一面にしか過ぎないのです.
やることなすこと上手くいくこともあれば失敗もあります.場が変われば適応に困ることもあるでしょう.
彼らは日々大したことないことで笑ったり泣いたりしていて,我らの社会の大事な仲間なのです.

こういった「思考のくせ」を通じて,自分はインターネットによくある批判を「極端だな」「建設的でないな」とみなすことが多いです.
けれども,自分はそれで怒りを覚えたりするのではなく,どちらかというと諦めに似たような感情を抱くようにしています.
なぜかというと…

裏にある気持ちを理解する

彼らの裏にある気持ちも理解できるからです.

例えば,スキャンダルに触れ続けた結果マスコミを信頼できなくなるという気持ちは理解できます.
もしくは,露骨なイラストを見て思わずぎょっとしたり何か大事なものが冒されたように感じてしまうというのも理解できることです.
そして,いきりたった人間というものは理にかなっているとは限りません(期待を下げる).

ですから,インターネットにおける行き過ぎた意見は,不信感や不安・怒りの表明であると捉えると納得がしやすいです.
文面自体はある意味どうでもよいのです.それらはきっと自身の意見を正当化するような頭のはたらきによって生み出された何かでしょう.

この考え方は人の内面を勝手に推測し押し付けているようなものです.それは不正確で望ましくないと思うかもしれません.
けれども,典型的な批判ツイートに関してはあながち的外れではないと考えています.
少なくとも,批判を目にしたとき,自分が批判をしたいと感じたとき,その元となった感情の動きを理解しようと努めてみるのはよいのではないでしょうか.

今までの社会はクソで,それは今も変わりません.これからもクソであり続けることでしょう.
けれども我らは社会をよくし続けてきたことでしょう.それは今だって可能ですし,これからだって続けていくべきです.
ひどい意見が見つかって拡散して炎上して…という流れは残念なものです.社会の中には現実的な意見を構築している人,現地で改善の努力をしている人がいます.
やっていきましょう.