確率の出現

確率の出現

下半期一番影響がデカかった大賞

人類史上で,確率が今僕たちの知っているような姿として初めて表れたのは1660年頃だと言われている.この時期に,パスカルや(名前忘れた)といった人物が独立に確率概念を形成していったのだ.この本はまさにその確率が登場する瞬間において,どのような状況が確率概念の形成に関わったのかを考察している.

例えば,1660年以前は「probable」という言葉は今我々が使うのとは全く異なる用法であったという.当時は,「(権威のある人間や書物が)裏付けている」という風に使われていたそうだ.このような証言としての「probability」が,錬金術や医術*1と結びつくことによって,(自然が示す)「証拠」という概念が誕生し*2,「証拠」の確からしさが確率へと結びついていく――ハッキングの提示するストーリーは極めて刺激的であり,それでいて彼の提示する「証拠」は論理展開を突飛でないものとしている.

他にも,確率についての様々な哲学的トピックを網羅している.例えば,確率の主観性と客観性についてだ.その中でも一番印象に残っているのは,確率の事象への割り振りには恣意性があるという事実だ.本書では,マクスウェル・ボルツマン統計とボース・アインシュタイン統計のどちらに粒子統計が従うかという問題について,最終的には経験則を持ち出さざることを得ないことから,確率が恣意的に事象に割り振られるということを主張していた.この主張は「確率はいかに定まるのか」という僕が関心を持っていた問題について合理的な回答であり,腑に落ちたのをよく覚えている.この問題の詳しい内容については
pandaman64.hatenablog.jp
を参照のこと.

評価:⭐⭐⭐⭐⭐
良い本だった.

*1:ここで現れるのが物理のような自然科学ではないのにも理由がある.なぜならば,そのような「高級科学」は不確かな証拠概念を採用しようとはせず,第一原因からの推論によって結論を得ようとしていたからだ.

*2:それまでには「証拠」という概念すら存在しなかったのだ!

二個振ると偶数の方が多く出るサイコロはあるよという話

探偵ナイトスクープという番組で確率の話をしていたらしい.
nanigoto.hatenablog.jp


成田理論の説明はリンク先を見てもらうとして,番組の解説ではサイコロの例を出して理論を反駁していた.つまり,次の図のように(偶数)-(奇数)と(奇数)-(偶数)という出方があるから,和について偶数と奇数は同じ確率で出るという主張だ.

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ところが,同じようなサイコロでも偶数の和が多く出るようなものが存在することが分かっている.それも目の出方が偏っているものではない,つまり公平なかつ偶数の和が多く出るサイコロだ.まずは次のような設定を考えよう.6つに区切られた箱に玉を入れてよく振ってあげる.すると玉は各仕切りに等しい確率で見つかるだろう.これを原始的なサイコロとして扱おう.もしくは,1から6番までの番号を振ったルーレットに玉を投入してよく回すと考えてもよい.

ここに図が入る***

同じ玉をもう一個この箱に加えて振れば,二つのサイコロを同時に振る状況が作れるだろう.果たしてこのときの結果はどうなるだろうか.

箱や玉が君の指でつまめるほどの大きさならば結果は君の予想通りだろう.しかし,玉として極めて小さい微粒子,それも光子や陽子といったボース粒子を使うと話は変わってくる.

ボース粒子を使ってこのサイコロの実験をした場合は,出目の組み合わせについて等確率でサイコロの値が決まる.つまり,(1)-(1)という目と(2)-(3)という目は等確率に出るのだ.このとき,下図に示すように各組み合わせを数えれば,和が偶数になるのは12通りで奇数になるのは9通りとなり,結局偶数の和が出る確率は4/7で奇数よりも大きい.

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そんな微小な世界の話なんて我々には関係ないと思うかもしれない.しかし我々だって細かく見れば原子の集まりである.一体どうして微粒子が従う確率の法則*1と巨大なサイコロの従う確率法則が違うといえるだろうか?我々が素直に信じている確率の割り振り方*2は一体どこからやってくるのだろう?

結局,これらの確率の割り振りの確からしさは実験によって確かめるしかない.サイコロを何百回,何万回と振ったら我々のよく知る法則(古典的な法則)が出てくるが,対照的に微粒子を扱う実験では奇妙な組み合わせへの割り振りに現象が支配される(量子的な法則).もちろん,サッカー選手は十分大きい対象であるから従う確率法則はサイコロのものと同一だろう.でも,それは実験によって確かめられるものなのだ*3.この点では,実際に統計を見てみる姿勢は素晴らしいといえよう*4

我々は微粒子に還元可能であるというのに,その微粒子の従う法則とは全く違う見た目の法則に支配されるという事実はいつ見ても興味深い.『小さくて単純なものがたくさん集まってびっくりするようなことをおこしてしまう!』ということなんだろうなあ.
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/d/1610.html#20


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元ネタ:イアン・ハッキング『確率の出現』
確率という概念が現れる時代(1660年頃)についての科学史書.医術や錬金術などの「低級科学」とみなされてきた学問がいかに確率の形成に関わってきたかに詳しい.本編で出てきたボース粒子等の確率的性質が実験事実であることについては数行割かれているのみだが,自分にとっては本書の中でも一二を争うほど極めて響いた部分である.

*1:微粒子にはフェルミ粒子というのもあるが,それらもやはり我々のよく知っているサイコロとは全く違う振る舞いをする

*2:各順列に等確率を割り振るやり方

*3:これを説明する理論あるんでしょうか?

*4:実際は選手の背番号の分布も関わってきそうだ.その場合は古典的な解釈で正しく導けることもあるだろう

科学哲学の話


四次元時空の哲学 --相対的同時性の世界観 [21世紀叢書]

四次元時空の哲学 --相対的同時性の世界観 [21世紀叢書]

この本は,相対論を認めて「同時刻の相対性」(観測者によって同時な事象が異なること)から,未来が決定的であると論証している*1

論証の流れは次のような感じ:

  1. 適当な運動をしている,自分と同時点の他者を考える.
  2. 彼から見て,彼と未来の自分が同時点である.
  3. したがって彼にとって自分の未来は既に生起済みである.
  4. つまり未来は決定的である(もう既に起こってしまっているのだから).

まあこれは地球から見てロケット内の時計が遅れるのと,ロケットから見て地球の時計が遅れてるのと同じようなパラドックスなので,次のように考えれば解決する.

結局,自分も彼もその系の中では因果の問題はなにも生じてなくて,両者を総合した見方でパラドックスが起こるということは,そのような見方をとるのがおかしいということだ.言い換えれば,「自分にとって」未来だとか,「彼にとって」現在という括弧の中を考えずして,過去とか未来を語るのがいけないということ.

突然実在の話をしているが,これはこの本で決定性の前に

自分→自分と同時である他者→運動している他者と同時である未来(過去)の自分→未来(過去)の自分と同時である全ての存在

という同じ流れで過去・未来の実在を論証しているからだ.この論証の「基本法則」として

「私から距離を隔てた場所に、他社が実在する。」
この命題を否定したら、客観性を前提とした科学が成立しない。

とか書いてあって,こう,科学的実在論争とはなんだったのかという気持ちになった.

*2

僕は実在論が嫌いで,なぜかというと実在論者や「反実在論者」*3の唱える「実在」の意味が分からないからだ.「反実在論者」は人間と同じくらいのサイズで観察可能な物は実在して,微小で観察不可能な物(原子とか電子とか)は実在しないと言うのだが,しかし何故君たちは自分の目や脳を信頼できるのかねという疑問が湧き出てくる.原子は目には見えないけれども,君の目だって世界を正しく写し取っているとは限らないし,神経を通じて脳が像を解釈していく過程で何かが捻じ曲がっていてもおかしくない.錯視なんかはその一例だし,水槽の中の脳みたいに見えるすべては幻想かもしれないのだ.

もちろん,「自分の認知能力に限界はあるかもしれないが,原子や電子みたいな見えないものよりは見えるものの方が信頼できる」という主張もできるだろう.しかし,日々そういった観察不可能な物に対して実験を繰り返している技師や科学者にとっては,手足で物を掴むのと同じように,実験装置で原子をいじっているようにも感じられるだろう.彼らにとって原子は実在しているのだろうか.もしそうなら,実在とは,単に「その物に慣れている」以上の意味を持たないのではないか?

実在論者が唱える「実在」は,もっと不明確で分からない.「反実在論者」は観察可能/不可能を通じて実在を決めているからまだ意味が掴めるのだが,実在論者は単に「実在する」しか言わないからマジで訳分かんねえ.もっと例を挙げるなりして明確にしてくれ.





ここら辺は理論の実在性の話.理論の実在性とは「科学法則は(近似的に)真である」という主張のことだ.理論の実在論とは「悲観的帰納法」という厳しい反論があって,擁護するのは大変.僕もあんまり擁護する気にはなくて,それよりも,議論のスコープ(枠組み)を考えるのが良いんじゃないのかなーと思っている.ニュートン力学は人間と同サイズぐらいの物質については極めてよく当てはまるし,熱素論も温度の違う2物体が接触して温度が等しくなるという現象をうまく説明している.これは「理論がうまくいく範囲なら理論は真」ということしか言ってないように見えるかもしれないが,「理論がうまくいく範囲がある(つくれる)」という存在の主張だと考えれば割とポジティブだと思う.

今の相対論とか量子力学だって,将来的には全く異なる理論によって置き換えられはするのかもしれないけれども,とはいえ置き換える法則は相対論や量子力学のスコープでは彼らを再現するような結果を導きだすだろう.そのスコープでは彼らは十分真だろうし,彼らが措定するような実在は実在するとみなして問題ないんじゃないのかなあ.

ここまで書いて自分の考えが構造実在論にかなり近い気がしてきた.でも実在って嫌いなんだよな.

おまけ


高々可算個の間違いがあるとも言える.量子論の話に入っていくのだがすっげー不安.

*1:まだ最初しか読んでないのでここからどんでん返しするのかもしれないが

*2:なんでですます調になってんだろ

*3:科学的実在論の話でよく出てくる反実在論者の人たちのこと.僕は彼らとは異なる立場の反実在論者なので括弧つきで書いている

技術書典に行きたかった

戦利品
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12時間寝てゆっくり向かい現地に着いたのが11:30頃(少し迷った).整理券の配布列ができててどうやら200-300人くらい既に並んでるみたい...

所用で秋葉原には一時間しか居れなかったのでまあ,無理..

第2回が有ったら次こそぜひ行きたいにゃん.

慶應は必修物理をやめる必要はない

2016年7月12日追記:
この記事は基礎において重大な誤解に基づいている.したがって,声明部分は全く誤っているから読む意味は無い.私がどのように間違えたか気になる人はその下を読んでもよいが,私が正しいと信じてはならない.後日正しい記事を書く.
誤った見識に基づいて非難する記事を書いたことをここに謝罪します.

声明

慶應理工学部では1年次に必修物理を通して春に力学を,秋に電磁気学を学ぶ.力学の講義は教科書の各章について講義2-3コマ,演習1コマによって構成されている.

これは素晴らしい仕組みだ.学生は演習を通して物理への理解を深めることができる―演習が根本的に壊れてさえいなければ.そして,テキスト第8章の演習問題は完全に壊れている.

良い問題はただ解く練習になるだけでなく,学生の思考を試し,本質的な理解を促すことさえできる.一方悪い問題は学生をいたずらに惑わし,教師から見ても学生の理解が不十分なのか,それとも性質の悪いひっかけにはまってしまったのか区別できない.それでも誤った答えを示すよりはましだ.答えを眺めることで初めて問題の意図を理解できる可能性も残されているし,少なくとも学生に嘘を教えてしまうことはない.

慶應が犯したのは両方だ.解くことのできぬ問題を学生に与え,解法と称して有害な嘘をばらまいた.それが単なるミスであるのならば仕方がない,ただ低質な教育であったというだけだ.しかし慶應は件の演習が壊れていることを知りながら何年も放置し続けている.これは講師陣が学生らをわざと苦しめようとしているか,それとも講義の質などどうでもいいと思っているに違いない.

いずれにせよ講師陣は不誠実である.「力学はまさに近代的な物理学の始まりといわれるゆえんを味わっていただく」とシラバスに謳っているのは良いが,彼らがやっているのは物理からは遠く離れたごまかしである.講師陣の皆様には即刻心を改めてかの演習を修正していただきたい.さもなくば,そのような劣悪な講義にはもはや行う価値は無い.

問題

件の問題を以下に示す.
f:id:pandaman64:20160623153318j:plain
画像は慶應義塾理工学部 『物理学B』(2016) p.80より.但し2014年,15年度分も同じ演習が掲載されている.

方針

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上下方向の運動だけを考えよう.図1のように,鎖全体に働く力は重力 \rho Lg・手が引く力 f・床の垂直抗力 Nの3種類である.したがって,運動方程式は鎖全体の運動量をPとすれば(上向きが正),


\frac{dP}{dt} = f + N - \rho Lg. \tag{1}

ここで, P


P=\rho y v \tag{2}
と書けることを利用すれば,結局


\rho v^2 + \rho ya = f + N - \rho Lg \tag{3}
を得るから,未知の量 f,N,yの内2つが分かれば,この方程式を解くことで残りを求められる.そう,2つ必要なのだ.しかし,慶應は(2)(3)で量を1つしか与えていない.では,一体どのようにしているのか.

慶應の指導

慶應の解説では


N=\rho (L-y)g \tag{4}
としてこの先の議論を進めている.もし(4)式が正しければ,未知の量が2つになるので上手くいく.しかし,(4)式を導く合理的な理由は存在しない

物理的な問題点

拘束条件

まず初めに,束縛力は拘束条件によって定まるという事実に注意したい.例えば,床に置かれた物体は「床に垂直な方向へ移動しない(床に垂直な方向の速度0)」という条件から,垂直抗力が重力に等しくなると決まっているのだ.では,この問題の条件は何だろうか?

f:id:pandaman64:20160623153509p:plain
一つには,「鎖は全て机の上にある」という条件がある.しかし,これは式を立てるのには役に立ちそうもない.他には無いだろうか?鎖を2つの部分に分ける,というのが一つの発想である.図2のように鎖を動いている上の方と静止している下の方に分けてみれば,

  • 動いている部分 → 全体が速度 v

  • 静止している机上部分 → 全体が速度 0

という条件が出てくる.静止している部分に着目してみれば,床に乗った物体と同じなのだから,垂直抗力が重力を打ち消すだけ働くのだ―と考えれば,(5)式から慶應の与える Nの式を出すことができる.


\text{机上部分全体が静止している}\Rightarrow
\underbrace{0}_{加速度}=\underbrace{N-\rho(L-y)g}_{机上部分に働く力?} \tag{5}
このモデルをKOモデルと呼ぼう.しかし,KOモデルには問題がある.

消えた相互作用

f:id:pandaman64:20160623153439p:plain
KOモデルの問題点とは,鎖どうしの相互作用が考慮されていないということである.鎖の動いている部分と静止している部分はつながっているのだから,力のやりとりがあっても良いはずである(図3).それを Tと置こう.すると,(5)式は(6)式のようにに書かれなければいけない:


0=N-\rho(L-y)g+T. \tag{6}
Tも未知の量であるから,鎖を分割して新たな式を得たのは良いが,同時に未知の量も増えてしまっている.これでは yを求めることはできない.

もし,KOモデルのように Nが先の式であると主張するならば, T=0である,すなわち鎖の動いている部分と静止している部分の間に相互作用はない,という仮定が必要になる.KOモデルを採用するにはこの仮定を説明するような理由が必要だが,この仮定は直感的にも疑わしい.ちょうど引っ張り上げているところで力が働かないのは極めて奇妙では無いだろうか?

KOモデルの破綻

f:id:pandaman64:20160623153524p:plain
それだけでなく,KOモデルは力学の一般法則に反していることさえ示すことができてしまう.静止した鎖の部分を図4のように更に2つに分割しよう.片方は動いている部分につながっているところから長さ v\Delta tだけ切り取った部分 \delta,もう片方は残りの長さ L - y - v\Delta tの部分 Rとしよう(図5-1).図5-2は図5-1から \Delta t秒経過した後の状態を示している.このとき,部分 \deltaは速度 vで運動している.したがって,この \Delta t秒間で部分 \deltaには \rho v^2 \Delta tだけの力積が加えられていることが分かる.

f:id:pandaman64:20160623153537p:plain
この二つの間では上下方向に力を加えあってはいないというのは直感的に妥当だ.したがって,残りの部分には重力と垂直抗力しか働かず,これらがつり合っているのだから Rに働く垂直抗力 N_R


N_R=\rho(L-y-v\Delta t)g \tag{7}
となる.KOモデルによれば垂直抗力全体は N=\rho(L-y)だから, \deltaに働く垂直抗力 N_\delta


N_\delta = \rho v\Delta t g \tag{8}
となり, \deltaに働く重力とつり合っている.そのうえ,KOモデルでは動いている鎖の部分が \deltaを引く力も 0なのだから,結局, \deltaに加わる力は全体で


T+N_\delta-\rho v\Delta t g=0 \tag{9}

となり,これは \delta \rho v^2\Delta tの力積が加えられたことに反してしまう,すなわち運動量保存則を破ってしまっているのだ.そのようなモデルを使用することは物理的に全く妥当ではない.つまり慶應 N=\rho(L-y)gという推論は根本的に誤りである.

慶應の不誠実な姿勢

この問題が,もし教科書の片隅に小さく書いてあるだけだったら,問題はそこまで大きくなかっただろう.ただチェックが行き届いていなかったというだけだ.しかし,この問題は章末の演習として何年もの間1ページを占有しているし,そのうえ演習の時間を1時限とってこの問題に充てている.更に,演習の時間ではTAが学生のサポートおよび解説をしていた.垂直抗力の出所が分からなくて質問をした学生もきっといたことだろうに,そのとき教員やTAはこの問題点に気付かなかったのだろうか.居なかったとしたらこの記事を読んで大いに反省していただきたい.居たとしたら,学生にこのような劣悪な問題を与え,しかも物理的に不適当な考え方を回答と称し強要するという悪事に良心の呵責は覚えなかったのか.悪いと思っているのならば何故教科書は依然としてこの壊れた問題を何年間も掲載し続けているのか.期末試験の過去問から適当に選んで取り替えてやれば十分なのに,その程度の労も厭うほど講義のことなどどうでも良いと考えているのか.それとも学生を罠に嵌めて喜んでいるのか.いずれにせよ慶應は不誠実である.悪質な演習を放置し続け学生に被害を与え続けているのは道義にもとる行為だ.慶應は今すぐ演習を修正しなければならない.さもなくば必修物理の講義をやめろ.

導体で「定常電流の保存則」が成り立つ訳

「定常電流の保存則」*1は,以下の式で表されるような電流の性質である.


\mathrm{div}\,\boldsymbol{i} = 0

「定常電流の保存則」は,電場の定常性を仮定すれば,アンペール・マクスウェルの法則から導かれる.


\begin{align}
\mathrm{rot}\boldsymbol{B} &= \mu_0\boldsymbol{i}+\mu_0\varepsilon_0\frac{\partial \boldsymbol{E}}{\partial t}\\
\mathrm{div}(\mathrm{rot}\boldsymbol{B}) &= \mu_0\mathrm{div}\,\boldsymbol{i} + \mu_0\varepsilon_0\mathrm{div}\left(\frac{\partial \boldsymbol{E}}{\partial t}\right)
&\text{$\mathrm{div}(\mathrm{rot}\boldsymbol{B})=0$,$\frac{\partial \boldsymbol{E}}{\partial t}=0$から}\\
\mathrm{div}\,\boldsymbol{i} &= 0
\end{align}

導体とは,内部で常に\boldsymbol{E}=0が成立するような物体であるから,当然\frac{\partial \boldsymbol{E}}{\partial t}=0であり,「定常電流の保存則」が成立する.

この議論により,回路の大部分を為す導体では電流は非圧縮的と考えてもよいことが分かるが,そのほかの回路素子についてはまだ不明だ.だれか考えてください.

*1:「定常電流の保存則」は,定常電流についての性質でも無く,また保存則というよりは電流の非圧縮性とでも呼んだ方が良いが,「定常電流の保存則」という言葉が広く使われているので,本稿もそれに従う.

20歳になった

こんな記事を読んでいる暇があったらSHOW BY ROCKのシアンちゃんの誕生日を祝え.
showbyrock-anime.com
祈れ.10万回だ.

20歳になった.金柑酒を飲んだ.舌に皮の苦みが広がった.飲み込むと喉の辺りがじんじんと焼かれるような気がして,鼻に金柑と,アルコールのにおいが広がった.

特に酔うことはなかった.グラス一杯だとこんなものなのだろうか.

進路に迷っている.つい数か月前までは物理をやるぞと心に決めていたのに,最近は情報理論に心が傾き始めている.Twitterで流れてきた [1604.02603] Information, Processes and Games を最初の方だけ読んでみたのだけど,「計算の目的は?」「情報が増えるってどういうことだろう?」とかなかなか面白そうなことをしているなーっと思った*1.数か月ぐらいの周期で興味がぶらぶら振れてってしまうのがつらい.今は情報理論いいぞとか思っててもどうせ冬頃にはまた別の何かに向いてって,結局何も身につかないのかなあと思うと嫌になる.何かこれ一本でやるぞと思えるようになりたい.信仰がほしい.めっちゃおしっこいきたい.

まー情報理論やろうにも慶應情報工学科に理論系の研究室無いからどーにかしないといけないんだけどね.
研究紹介 – 慶應義塾大学理工学部 情報工学科


ご意見ご感想をお待ちしております: 
http://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/3UXYIWN8F6R3Y

*1:さっくり熱力学第二法則の話使ってる所あるんだけど情報理論と熱力学とでうまく繋がりがつくのかなあ